2018年の私
私は今、子供と離れて暮らしています。
2018年の4月の終わりに、元パートナーのフランス人と今の関係をなんとか変えたいと話を進めました。
一緒に暮らすことが苦しかった。
私はフランス人と結婚してフランスに住んでいました。
今年が13年目でした。
私は日本に戻りたいと思っていました。
子供が二人居ます。女の子と男の子です。6才と4才です。
私は一年間、子供を連れて日本で生活したいと話を進めました。子供を日本語に触れさせてあげたい、と。
元パートナーは反対しました。
「一年、私が日本で暮らせば君はもう戻ってこない」と言われました。元パートナーも、よく分かっています。
私はそれくらいフランスでの暮らしが苦しかった。
心の奥では、元パートナーとは終わっていました。
でも、それを出したら子供達と出国するのが難しくなるので、なんんとか穏便に話が進めればと思っていました。
(国際結婚の場合、出国にあたりパートナーの同意が必要で同意なしで出国した場合、私が子供を誘拐したことになります。)
まぁ穏便に進むわけがないですよね。
ちっとも話が進まないので「もう、お前のことが嫌なんじゃよー‼️」と言いました。
そこからは修羅場です。
本当に疲れた😖💦
パスポートを取られたり、義理家族と話したりするうちに、完全に信頼関係が無くなっていることに気付きました。
私が日本に帰るのは問題ないのです。
大事な子供達がフランスを離れる事が、正確には義理両親と離れる事が無理なんだと気付きました。正確には義母ですが。典型的なマザコンフランス息子です。
フランス息子はマザコンと言いますが、家もしかり。
プラス義姉が二人いました。
兎に角、子供を連れて帰るのは無理だと感じ、私が一人で日本に戻ることを決めました。
あの時から8ヶ月。
私は罪悪感がたっくさんありました。
子供が悲しんでいるのではないか?
ひどい母親なんじゃないか?
色々な思いを持っていましたが、多くは世間の人々に私がどう見られているのか?というモノサシからでした。
子供に依存していたのです。
私の存在意義を子供を世話をすること、母親をすることで認めようとしていたのです。
私が、自分の母親からされたように。
母と娘の共依存。
あげたくなくても、娘にあげていたこと。
それに気付いたのでした。
#共依存
#国際結婚